【スタッフ雑談】弓道大会に出場してみました
2017年05月12日(金曜日)
(先々週に引き続き、スタッフ雑談は趣味のはなしです!)
5月5日、香取神宮(千葉県香取市)にて春季弓道大会が行われました。
今年は大会運営係だけでなく、自分も一般の部で選手として出場してみました。一般の部の参加者は192名ほど。その他、学生もいたので道場は大賑わいでした。
弓道大会に出場するのは実に四半世紀ぶりで、入場から、弓を引き、矢を放ち、退場するまでの動作(これら一連の流れは「体配」といいます)にも不安があったのですが、意外と体はおぼえており、射場に入ると自然な流れで体が動き、落ち着いて臨めました。
今大会では合計6本しか矢を放てないので、1本1本に集中するわけですが、いいところを見せようなどと雑念が入ると、力みを生み、矢が思うように飛ばせなかったりします。心の乱れはそのまま矢にあらわれ(それが弓道の面白みでもあるのですが)、勝たなければというプレッシャーの中で弓を引いていた学生時代に比べたら、趣味で気楽な分だけ純粋に弓道を楽しめました。
結果の方は、6本中1本的に当たり、かろうじて0本をまぬがれた感じですが、幸先の良いスタートを切れたように思います。これからオンシーズンとなり大会も目白押し!
今後も楽しみながら長く続けていけたらいいなぁと思っています。(S)
【スタッフ雑談】お茶のお稽古
2017年04月28日(金曜日)
お茶を習いはじめてかれこれ30年。
上野の東京国立博物館で行われている「茶の湯」展で、国宝や重要文化財の茶碗や茶入れなどを鑑賞しながら、習い始めた頃のことを思い出しました。
歩き方やお辞儀の仕方、襖の開け閉め、お茶を点てる所作の一部分ずつを繰り返す割稽古、その後、薄茶点前、濃茶手前と稽古していきますが、最初の頃は所作や手順を覚えるので精一杯。間違えずに流れるような所作でお茶を点てられるようになりたいとそればかり思っていました。
薄茶や濃茶の点前ができるようになった頃、外国のお客様にお茶を差し上げたいと友人に頼まれ、「できるよ」と安請け合いし、お茶室を借りてお茶を点てることに。
稽古でやっているようにお茶を点てればいいと思っていたのですが、お稽古は先生のご自宅で行っているので、稽古前に先生が炉や風炉の灰を整え、熾した炭を入れ、釜に湯をわかし、茶碗や茶入れなどの道具を取り合わせ、お稽古に伺った時にはお茶を点てるための準備が整った状態であったのだということに、この時、初めて気づきました。
友人の手伝いもあり、お客様にはお茶を差し上げることができましたが、普段のお稽古はほんの一部分で、先生がされていた準備や心遣いなどに思いが及ばず何もわかっていなかったことが恥ずかしく、いろいろと考え、気づかされた出来事でした。
美味しい和菓子が食べられると始めたお茶も気付けば30年。
いまだに至らないことが多く反省の日々ですが、お茶を通して多くのことを学んできたなと思いながら「茶の湯」展をあとにしました。
(R)
【代表弁護士から】戦後まもなくの弁護士の懐事情
2017年04月24日(月曜日)
「千葉県弁護士会史」という本を読んでいたら、戦後すぐの新人弁護士の生活に関する記事がありました。
今はもうお亡くなりになった大坂忠義弁護士のインタビューではこのようなことが紹介されています。
「昔(昭和23年修習)の修習生の給料は200〜300円。当時、月の生活費が1000円くらいかかっていたんで、とても生活できなかった。千葉の弁護士はみんなすぐに独立せざるを得なかった。独立してからは最低の生活から始めた。中堅の弁護士でも食えなかった。弁護士会の会長が”新人弁護士に国選を回してやれ”と言ったら、中堅の弁護士から不公平だと苦情がでた。相当の大家の中でも、新聞記事を読んで警察の留置場に面会に行き、弁護士を自分に依頼しろと弁護届を取っていたという人もあるくらい」
金銭感覚が今とかなり違うので、200円とか300円とか言われてもピンと来ませんが、食べられなさ加減というのはなんとなくわかります。
大坂弁護士は生活の貧困状態を「子どもが朝起きると米びつを開けてみて、『米がない、米がない』と泣いていたほど」とも言っていました。
国選事件の取り合いなどというのは、私が弁護士になったころ(1995年ころ)はそのような現象は見られませんでしたが、戦後すぐはそのようなことがあったのですね。
大坂弁護士によると、「弁護士が普通に食べていけるまでに10年くらいかかった。」ということであり、それが普通のことだったのでしょう。よく考えてみれば、弁護士になったからといって資格があるだけで、知恵も経験もないのですから、それですぐに食べられるようになるわけがありません。
10年というのは、戦後の特殊事情もあったのかもしれませんが、それなりの経験を積まないと信頼される弁護士にはなれないものなのです。
【スタッフ雑談】事務所旅行を実施しました
2017年04月14日(金曜日)
4月7日(金)~8日(土)、当事務所の恒例行事「春の研修旅行~DISCOVER CHIBA~(第13回)」が実施されました。ここ数年晴天だったためしがなく、今年もまた雨に降られましたが、
◆久留里城(駐車場から天守まで坂道25分登りますが、見晴しは最高なので健脚な方はぜひ!)
◆濃溝の滝(最近SNSで秘境、ジブリの世界などと話題の滝です。遊歩道が整備され観光スポット化していますのでもはや秘境とは言えないかもしれませんが、美しい写真を撮って楽しめました。)
◆大山千枚田(里山の美しい景観、広大な棚田。日本の原風景を楽しめました。お食事処もあり、千枚田で取れたお米のおにぎりをいただくことができました。あいにくの雨でしたが、大山千枚田は日本で唯一雨水のみで耕作されている天水田なので、田にとっては恵みの雨なのだそうです。)
◆魚見塚展望台(ちょうど雨があがったので展望台へ立ち寄りました。とにかく絶景です!前原海岸、鴨川松島、仁右衛門島など美しい海岸線と、鴨川の街並みが一望できました。あまりの美しさに動画で撮影してしまいました。)
などを見てまわり、鴨川で宿泊。
翌日も雨でしたが、勝浦朝市(日本三大朝市です)に寄ったところ、何店舗か出店されており、農産物や海産物などを調達したメンバーも。今年も例年同様、千葉の自然に触れ、新鮮な魚介をいただき、充実した研修旅行となりました。私は生まれも育ちも千葉県でありながら、大山千枚田と魚見塚展望台はお初で、とにかく景観の美しさに感動しました。まさに「DISCOVER CHIBA」できてよかったです。(S)
【スタッフ雑談】キノコの話13
2017年03月24日(金曜日)
春のキノコの代表のアミガサタケ。
傘にあたる部分は凸凹した網目状でヒダはなく独特な形。
アミガサタケの仲間はアミガサタケ、アシブトアミガサタケ、チャアミガサタケなどありますが、そのうちの一つのヒロメノトガリアミガサタケをキノコ仲間と見つけたことがあります。
北軽井沢でのキノコ合宿からの帰りがけ、近くの霧積温泉へ寄ることに。
行ってみると温泉周辺は山の中で、キノコ散策にも良さげな場所。
「もしかしたらヒロメノトガリアミガサタケが出ているかも」と一人が言いだし、皆の気持ちは既に温泉よりも、キノコ探しへ。
まだ誰もそのキノコと出会ったことがなく、お初のキノコにお目にかかりたいと期待を胸に山道を歩いていると、後ろの方で友人の「あっ、あれは!?」の声。
近寄って友人の指さす方を見てみると、林縁にアミガサタケが4~5本。しかも高さ20㎝~30㎝と一般的なアミガサタケより背丈は倍以上で、頭部の網目は広くまさにヒロメノトガリアミガサタケ!
「やった~!」「すご~い!」「大きい~!」とキノコを囲んで、皆、大はしゃぎ。
写真を撮ろうということで、顔の長さと同じ背丈ほどのアミガサタケを手に持ち記念撮影。皆、満面の笑みで写っていました。
ヒロメノトガリアミガサタケを見たのは、その時の一度きり。
また出会いたいキノコの一つです。
(R)