【代表弁護士から】戦後まもなくの弁護士の懐事情
2017年04月24日(月曜日)
「千葉県弁護士会史」という本を読んでいたら、戦後すぐの新人弁護士の生活に関する記事がありました。
今はもうお亡くなりになった大坂忠義弁護士のインタビューではこのようなことが紹介されています。
「昔(昭和23年修習)の修習生の給料は200〜300円。当時、月の生活費が1000円くらいかかっていたんで、とても生活できなかった。千葉の弁護士はみんなすぐに独立せざるを得なかった。独立してからは最低の生活から始めた。中堅の弁護士でも食えなかった。弁護士会の会長が”新人弁護士に国選を回してやれ”と言ったら、中堅の弁護士から不公平だと苦情がでた。相当の大家の中でも、新聞記事を読んで警察の留置場に面会に行き、弁護士を自分に依頼しろと弁護届を取っていたという人もあるくらい」
金銭感覚が今とかなり違うので、200円とか300円とか言われてもピンと来ませんが、食べられなさ加減というのはなんとなくわかります。
大坂弁護士は生活の貧困状態を「子どもが朝起きると米びつを開けてみて、『米がない、米がない』と泣いていたほど」とも言っていました。
国選事件の取り合いなどというのは、私が弁護士になったころ(1995年ころ)はそのような現象は見られませんでしたが、戦後すぐはそのようなことがあったのですね。
大坂弁護士によると、「弁護士が普通に食べていけるまでに10年くらいかかった。」ということであり、それが普通のことだったのでしょう。よく考えてみれば、弁護士になったからといって資格があるだけで、知恵も経験もないのですから、それですぐに食べられるようになるわけがありません。
10年というのは、戦後の特殊事情もあったのかもしれませんが、それなりの経験を積まないと信頼される弁護士にはなれないものなのです。