【代表弁護士から】藻原寺と日蓮
2016年04月19日(火曜日)
茂原市に藻原寺(そうげんじ)という日蓮宗の寺があります。
この寺、日蓮とは大いに関係のあるところです。
藻原寺のホームページによれば、同寺の縁起が次のように書かれています。
1253(建長5)年春、旭ヶ森で立教開宗された日蓮大聖人は、法難の為に清澄山を追われて藻原近くの「笠森」の観音堂で難を逃れた。
その時、藻原の豪族として威勢を誇っていた齋藤氏と、その一族の須田次郎時忠が同時に夢の中で、日蓮を迎えよとの観世音菩薩のお告げを受けたので、日蓮大聖人を自邸に招き、教えを乞い最初の帰依者となり、1276(建治2)年7月、ついに邸内に一小堂を建立しました。これが藻原寺の起こりです。
この縁起では、日蓮が清澄山から笠森観音(これは現在でも長南町にあります)に逃れていたということが前提となっていますが、日蓮の伝記を紐解くと、日蓮は清澄山から鎌倉に向かったことになっています。例えば、大野達之助著「日蓮」(吉川弘文館)によると、
”故郷の小湊から安房の西海岸に出、泉谷(今の南無谷)から船に乗って三浦半島の米ケ浜(今の横須賀)に渡り、三浦街道を経て鎌倉の東南名越に着いた。時に建長5年5月であった”
とされているからです。
清澄山から逃れた日蓮を茂原に迎えたというのは史実ではないようですが、日蓮が茂原の齋藤氏を信頼していたことは事実です。
日蓮が死の直前に書いた手紙にそのことが表れています。
日蓮が波木井実長から贈られた馬について、「あまりにも可愛いく思われるので、いつまでも離したくないと思います。常陸の湯へも引き連れてまいりたいとおもっていますが、もし人に盗まれでもしたら困ると思っています。またその外にも、かわいそうに思うので、湯から帰ってくるまでの間は、上総の藻原殿の許におこうかと思っております。」と書いているからです。
この上総の藻原殿というのが齋藤氏のことです。
ただ、その接点がいつどこであったのかについては未だよくわからないようです。
そのようなことが日蓮を笠森観音に迎えに行くという伝説を生んだのかもしれません。