【代表弁護士から】千葉氏の城はいずこに
2015年11月20日(金曜日)
事務所の近くには、城の天守閣の形をした千葉市立郷土博物館があります。
しかし、ここには天守閣の城というものが存在したことはありません。“城”というとどうしても天守閣を思い浮かべてしまいますが、これは戦国・安土桃山時代以降のもので、中世の城はほとんどが土塁と塀によって守られた平屋のものであったといわれています(参考文献1)。
では、中世の千葉氏の拠点がどこにあったのかというと、確固たる証拠がなく、学者さんの間でも説が分かれているようです。
その中でも、現在の千葉地方裁判所の地にあったのではないかという説は有力なようです。その理由としては、
① 裁判所の場所は古来より「御殿跡」と呼ばれていた。
② 明治期の地図では裁判所の周囲は土塁と塀があり、中世の方形の館跡に似ている。
③ 現在の郷土資料館のある亥鼻地域を発掘しても、千葉氏の居館にふさわしい出土物がない。
といったことがあげられています(参考文献2)。
このような説があるというのは、寡聞にして知りませんでした。もっと決定的な証拠があればよいのですが、今のところはないようです。
参考文献2の論者も「いずれ機会があれば発掘調査を行うのが望ましい」と述べているほどで、発掘調査による有力な証拠の出土を期待したいところです。
参考文献1:千葉城概説 築瀬裕一(千葉いまむかし11号)
参考文献2:中世の千葉概説 築瀬裕一(千葉いまむかし13号)