【代表弁護士から】習志野の俘虜収容所
2015年10月30日(金曜日)
”百年前新聞”というツイッターアカウントがあります。
百年前の今日何があったのかというのを見るのはなかなか面白くてフォローして読んでいるのですが、10月21日の記事でこのようなものがありました。
21日、習志野俘虜収容所で、捕虜のドイツ人たちが「大体育祭」を開く。種目は鞍馬、平行棒、鉄棒、サッカー、重量挙げなど。日本人もドイツ人も参加した。100メートル走ではドイツ海軍東アジア分遣隊員が12.04秒で優勝。夜はビールで祝宴。
=百年前新聞社 (1915/10/21)
習志野というのは、千葉県の習志野市のこと。そこに俘虜収容所というものがあったということは初めて聞きました。
調べてみると、第一次世界大戦で中国の青島をめぐって日本はドイツと戦争をしており、捕虜となったドイツ兵を収容したのが習志野だったのです。
江戸時代以降、房総半島は日本の首都近郊となりました。
房総半島は東京湾の構成要素ですから、軍事的にも重要な位置にあります。
明治期には多くの軍事施設が千葉県に置かれました。
房総半島の南部を除けば、平野や台地が広がるのが千葉県の地勢です。
そんなこともあって、習志野に捕虜の収容施設が置かれたのではないでしょうか。
捕虜といっても収容所内では、音楽活動もあり、演劇、出版も行われていたそうです。
大体育祭の後に、ビールで乾杯というところからは、収容所生活といっても、それなりに自由だったのですね。
参考文献:習志野市教育委員会編 ドイツ兵士の見たニッポン 習志野俘虜収容所1915~1920